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2015年10月27日

富士山

神奈川の自宅からは、大体毎日富士山が見えて、それを当たり前
のように思っていました。小学校に通う道すがらの、朝の富士山は
見た目も心にも清々しく、美しく、誇らしい気持ちを常に持って
いました。関東にいてずっと見えて当たり前だったので、関西に
来たての頃は、富士山がみえないのが寂しくて寂しくて仕方が
ありませんでした。
というか、見えない事が信じられませんでした。
自分がこれほど富士山に心を寄せ、何とはなしに誇りに、心の
支えにしていたとは思っていもせず、そんな自分にひどく驚いた
事を思い出します。

それが今年、5月の連休にも、お盆休みにも帰れず、先月
久方ぶりに家に帰って、庭から習性のように夕刻の富士へと
顔をむけると、そこには建設中のマンションが視界を遮って
いました。
!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
あああああ、帰省するたびに変わる町並みを寂しく思っては
いたけれど、とうとうこの日がきてしまったか。
夕暮れ逆光の小田急線、あかね空にうかぶ富士のシルエット
あの景色が無くなる日がくるなんて、想像だにしていなかった。
すでに見えない以上、庭からの富士山の写真を撮る事もできない。
ものっ、すごく残念です。
痛恨の極み。
帰省してからすでに一ヶ月たとうとしていますが、未だに
ショックな光景が時折頭をよぎります。
富士山が消え去ったわけじゃないけれど、思っていた以上に
心が折れている自分がいます。
posted by teru at 00:54| Comment(0) | 日常雑話

2015年10月22日

猫復活

1999年11月、先代市川猿之助の「新・三国志」を観劇してきた帰りに
地元の駅で備え付けの椅子のざぶとんの上にいた猫と戯れていたら
後ろから突然、肩に子猫が乗せられ、振り向くと見ず知らずの母子の
二人がいて、わけがわからずポカンとしてしまった。
「たった今この子が捨てられたみたいで道路をよちよち歩いていたの。
貴方飼ってあげられないかしら。うち、拾った猫がもう10匹以上いて
無理なのよ」
っというのが、私の愛猫との出会いでした。
と、走馬燈のように思い返したりする今日このごろ。

 数年前に腕に癌ができ、あわや腕切断、という手術も乗り越え、
今回の車事故でも大事にいたらずにすんだ我が家の猫です。
骨盤が左右非対称になりましたが、今は食欲も旺盛で
たかたかと小走りし、階段も難なく上り下りできるようになりました。
看病していた時、むりやり喉に食事や薬を流し込んだり動かしたり
嫌がる事ばかりしていたのに、やはり看病されていたのがわかって
いたのでしょう。今は怪我する前より更に更に愛情深く接してくれます。
今でも事故直後から数日間の痛々しく悲痛な状態の姿を思い返すと
涙が滲みます。
今、不便は残るものの、普通に生活してくれる事の、どれほど
有り難い事か。
何より、生きていてくれてありがとう。
ひなたぼっこで幸せそうにしている日々がまだ夢のようです。

posted by teru at 22:43| Comment(0) | 鳥・動物など

2015年10月17日

夢の事とかの妄想考察

 寒さが日に日に身にしみてくる季節。
昼間暖かいからと、襟元が広い服をきていると、肩まわりが冷えて
胸が痛くなります。ずっと調子よかっただけに、痛みやら吐き気
やら貧血、目眩があると、とたんに弱気になって駄目ですね。
夜寝る前に風呂上がりで躰があたたかくなって、ふとんを半掛け
くらいにして寝ると、朝方の寒さに躰が脳にピンチを訴えるのか
てきめんに悪夢を見ます。たいがい海でおぼれたり洪水にのみこ
まれたり、水にまつわる悪夢です。
 私は夢を覚えている方なので、色々思い返してみると、トイレに
いきたい時は色々なパターンのトイレの夢を見ます。夢見ながら
トイレ行きたいのだな、と思います。決まった形の便座とかでは
なく、自然系、流水系で、個室全体が壁から水が滝のように流れて
いる中に飛び石にまたがって和式方法でするとかです。

 高い所から飛び降りる時も、夢だから大丈夫。と、言い聞かせて
飛び降ります。山やらビルやら飛行機やら、ほんと恐いんですが、
浮かぶコツはわかってるので、地面に激突はしません。なだらかに
落ちていく感じ。コントロールもきく。
 風景が鏡のように左右反対になる事が多いです。
目から入った情報が、脳では逆さまに写るというのとかと同じ
なのかなと考えたりしますがどうなんでしょう。
学生時代の教室や住んでる地域の景色が逆になってるのを見るのは
面白いです。あと、昔テレビゲームをやってた頃、どうしても
先に進めない時に方法が夢に出て、実際やってみたらクリアできた
という事もあります。寝ていても脳は考えていたんでしょうね。
これが数学の問題の答えとかならかっこいいのに、ゲームの話ですよ
情けない。でもゲーム以外でもそういう事は何度かあります。
寝ている時の脳の働き、侮るべからず。

 デジャ・ヴ、といわれる既視感も多いです。
これは子供の頃からで旅行などでいつもと違う風景の中で、夢に
出た風景と同じ場所に来るとその時の夢を思い出します。
あまりに回数多いので、既視感のあった場所での夢の内容と現実
での内容を比較していた事もありましたが、内容はまったく関係
ないので、オカルト的な妄想期待感は打ち砕かれています。
それでは何故行った事のない場所を見るのかと、ずっと考え
続けてきました。
 似たような景色の合成、テレビで見た景色など、というのも
もちろんあるのですが、テレビにも絶対取材されてないような
カラオケ屋の扉と足マットの景色とかをどう考えるのか。
難の変哲もない初めて乗る電車の窓からの工場の景色が広範囲
に見た事があるのは、何故か。行った事のない山中の小川の
板を渡しただけの手製の橋が夢での光景とそっくりなのは何故?
 
 現在の仮説では、家族や、近い距離にいる人が夢見た景色を
見るのではないか、と思っています。

 電話の声、携帯やパソコンでの写真のやりとり、テレビの
画像など電波により画像や声が送れますよね。人間の躰も、
シナプスという神経細胞が電気信号をやりとりして動かしています。
電気は人と人の間を移動するという事は、子供の頃に兄が持って
いた電子針で遊んでいて知っているんです。
電子針のボタンを押すと、摩擦で電気が発電され、それが肌に
伝わってチクッとします。
数人で手を繋いで一人に電子針を使うと、素通りしてしまう人も
いますが、手を繋いでいた人で反応する人に電気が伝わり、チクッ
とします。
 そんな遊びの中での経験から、脳なんて電気信号多い部位だし
例えば電気の伝わりやすい素材、水分がある湿気が多い日とか
時間とか空気中の水分が、人と人を繋いで電気信号が伝わり、
その瞬間の画像信号を受信してしまっているのではないか、
と考えた訳です。

 また、近い距離、という仮説とは違ってしまいますが、連絡しようと
思っていた人から連絡がある。相手もまた同じような事が多々ある。
というような、親しい関係にある家族や友人の間は、互いに、アドレス
のように信号が遠くても飛ぶのではないか、という事。
これも、携帯電話という飛び道具があるのだから、脳波を電気信号
として考えると、強く考えていた信号が飛び、その信号を知っている
相手が受信しやすいという事があるのではないかと思う訳です。
虫の知らせとか、死に目に会うとかも同じ。
思いを伝えたい人と、気に掛けている人の間では、他人同士より
送受信しやすい関係にあると思えるのです。

 私は本当に、絶対的に霊感とかオカルト的才能がゼロな零感人なので、
答えの出ない不可思議な事は、電気信号説であれこれ説明つけて妄想を
楽しんでいたりします。
posted by teru at 00:05| Comment(0) | 日常雑話